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オレーク()は、ロシア帝国海軍の防護巡洋艦である。建造当初は 1 等巡洋艦、1907年9月27日以降は巡洋艦に分類された。 == 艦歴 == 1902年7月6日にボガトィーリ級防護巡洋艦の 5 番艦として起工。1903年8月14日進水。1904年6月24日に就役しバルト艦隊に配備された。 日露戦争では第2太平洋艦隊の一員として、日本海軍により旅順に閉じ込められている第1太平洋艦隊の救援に向かい、1905年5月15日の日本海海戦に参加。オレークは損傷したが逃走に成功し、巡洋艦アヴローラおよびジェームチュクとともにマニラにたどり着いてそこで抑留された。戦後、オレークはバルト海に戻った。その後は、バルト海方面において艦隊の復興のための練習航海に従事した。 第1次世界大戦が始まるとオレークは第1巡洋艦戦隊の一員となった。1914年8月26日、オレークは巡洋艦ボガトィーリとともにバルト海での機雷敷設作戦を支援し、オレーク自身も機雷を敷設した。1915年7月2日、ゴットランド沖での海戦に参加。 1917年の十月革命では、オレーク乗員はボリシェヴィキ支持を表明した。白軍やエストニア軍、それにイギリスなどの革命干渉軍との戦争において、労農赤色海軍の中では最も稼働率の高い艦のひとつとなった。1918年3月のブレスト=リトフスク条約でヘルシンキの基地から去らなくてはならなくなると、オレークはクロンシュタットへ向かった。1918年11月、オレークとボガトィーリは頓挫した赤軍によるエストニア侵攻に参加。1919年6月17日、クロンシュタットでイギリス海軍の魚雷艇CMB-4の雷撃により沈没。1919年と1933年に一部が引き上げられ、残りは1938年に引き上げられてスクラップにされた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オレーク (防護巡洋艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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